椿の季節になると、「つらつら椿」という語呂のよい言葉を思い出します。今月の「万葉の大和路を歩く会」は巨勢寺(こせでら)から待乳山を歩きます。
巨勢山(こせやま)の
つらつら椿
つらつらに
見つつ偲はな
巨勢の春野を
万葉の時代には、藪椿の木がたくさんあった周囲の山はバラスを取るために削られて見る影もありません。巨勢寺跡に植えられた椿も、今年は花が少なくて、その上あまりきれいに咲いていません。わずかに塔の礎石に当時をしのびました。
昔は、待乳山で奈良と和歌山が境になっていました。
あさもよし
紀人ともしも
真土山
行き来と見らむ
紀人ともしも
「あさもよし」は「紀」にかかる枕詞です。いつも真土山を見ることが出来る和歌山の人はうらやましい、という意味です。
待乳山は山と呼ぶほどの高さもなくて特別にも思えない山ですが、他国の旅人にしてみればあこがれの山なのでしょう。想像だけの山は余計に旅情をそそられるのでしょう。
待乳山の麓の落合川で「神代の渡り」と言われているところです。ここは神代の昔からの渡り場と土地の人たちから言われています。一跨ぎで超えることが出来ますが、慎重にわたります。たくさんの人が渡って行った大岩はきれいにすり減っています。